「檸檬」(梶井基次郎)①

「エア・テロリズム」とでも言い表せましょうか

「檸檬」(梶井基次郎)
(「檸檬」)新潮文庫

「えたいの知れない不吉な塊」が
心を終始押さえつけていたある日、
「私」はお気に入りの果物屋で
檸檬を一つ買う。
それを握った瞬間から、
「私」の「不吉な塊」は緩み始めた。
そこで「私」は
久しぶりに書店「丸善」に
寄ってみたところ…。

彼は丸善に行ってどうしたか?
わざわざ説明するまでもないほど
人口に膾炙している名場面です。
丸善の美術書を引き抜いて積み上げ、
「その城壁の頂きに
恐る恐る檸檬を据えつけた」。
そして「丸善の棚へ
黄金色に輝く恐ろしい爆弾を
仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、
もう十分後には
あの丸善が美術の棚を中心として
大爆発をするのだったら
どんなにおもしろいだろう」。

中学生の頃に本作品と出会い、
強烈なエネルギーの奔流に
巻き込まれたような
を持ったことを覚えています。
「檸檬」という名の「爆弾」。
これは一体
何を意味しているのだろうと。
以来、梶井の作品を読み続けました
(といっても文庫本一冊だけしか
出版されていなかったのですが)。

作品の多くに
肺病を患った主人公が登場するため、
何となく病弱な高齢者の
イメージを持ってしまうのですが、
この日本近代文学名短篇の
作者・梶井基次郎は、
実は31歳の若さで早世しています。
したがって、
梶井の残した作品のほとんどは、
青春時代最盛期の記録と
考えられます。

そう考えると
「えたいの知れない不吉な塊」とは、
思春期・青年期特有の不安感、
もしくは心の病、
もっと有り体に言えば
「もやもや感」と
考えていいのでしょう。
それを檸檬爆弾で吹き飛ばした。
だから気持ちが
晴れやかになったのです。

ここで押さえておきたいのは、
「私」が実際に行った行為は、
丸善の美術書の山の上に
檸檬を置いてきた、
ただそれだけなのです
(しっかりと迷惑行為なのですが)。
あとは自分の空想の中で
それを爆発させ、
自分の「もやもや感」を
吹き飛ばしたのです。

現代でも
心に「もやもや感」を抱えた若者が、
さまざまなテロリズムにも
似た事件を起こし、
自分と他者を不幸に陥れています。
先日の交番を襲撃した
大学生なども同様でしょう。

梶井の創りだした「私」は、
そうした若者とは異なり、
実力行為ではなく、
空想の世界の中だけで
「事件」を引き起こし、
現実の「もやもや感」を
ものの見事に粉砕しているのです。
「イメージ・テロ」いや
「エア・テロリズム」とでも
言い表せましょうか。

中学生、そして高校生に
ぜひ読んで欲しい作品です。
屈折していながらも
懸命に正しく生きようと
もがいている青年の心を
読み取って欲しいと思います。

(2018.10.10)

【青空文庫】
「檸檬」(梶井基次郎)

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